GLOBAL PERSONS

GLOBAL PERSONSは、 海外の魅力と現実を伝えることをコンセプトにした、海外経験者インタビューサイト

海外経験からグローバルに物事を捉える 石田奨大

カナダ人はどのような民族ですか?

そもそも、カナダ人が少ないですね、基本的に移民が形成している国なので・・・

数少ないカナダ人は日本人から見たら怠け者に見えます。

なぜなら、彼らは、仕事よりも遊びを優先にしているからです。

しかし、

カナダ人はとても優しく、留学生の扱いもなれているので、聞き直しても許してくれて留学するにはもってこいな場所だと思います。

また、親日家が多くいらっしゃいましたが、あまり日本人とかそういう人種の特別な意識はなかったように思います。

留学でどのようなことを学びましたか?

週5日、語学学校に行って、残りの3日は観光していました。

観光では、シアトル、ビクトリア、バンフに行ってきました。

シアトルでは、ダウンタウンを見たり、ビクトリアでは、昔のイギリスのようなれんが造りの街並みを見たり、バンフでは、バンフの自然に触れたりしていました。留学してみて思ったことは、英語力がなかったので、言葉の壁があり、非常に苦戦しました。しかし、3ヶ月間過ごしてみたら、暮らすには支障がないレベルまで英語が話せるようになりました。

価値観の変化はありましたか?

価値観は変わって当たり前で、視野が広くなりました。

今までは、日本のことしか見ていなかったですが、海外にも目を向けるようになりました。

例えば、前には興味もなかった、海外のニュースや為替などにも興味を持つことができ、世界規模で物事を見ることができるようになりました。また、行動力が身に付きました。例えば、危ないと思ったりするグループにも積極的に関わることができるようになりました。

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海外経験からグローバルに物事を捉える 石田奨大

カルチャーショックはありましたか?

カルチャーショックは受けませんでした。移民が形成している国なので、さまざまな国の文化があり、非常に日本と似ているからです。ホームステイ先は、カナダ人男性とフィリピン人女性の夫婦のところでした。出てきた料理はフィリピン料理だったのですが、あまりおいしくありませんでした。

これから留学する人へ

カナダは、教育システムがちゃんとしているから、日本の大学より、カナダの大学に行った方がいいと思います。東大や京大レベルの大学も簡単に入れて、また、語学学校からの編入システムもあるのでぜひ挑戦して欲しいです。それと、警察の方が、日本人が日本人に現地でだまされるというケースが多いとおっしゃっていたので、現地の日本人には注意をしてください。自分は、カナダについて調べてから行っていなかったので、国の文化を調べて行けば良かったなと後悔しているので、ぜひ、国の文化を調べてから行ってもらえると、きっと充実した日々を過ごせると思います。頑張ってください。

旅するように働く 橋本博司

海外に出てみて意識・価値観の変化はございましたか?

行動範囲が日本にいるのと違って世界が選択肢になりました。

 

例えば、日本で、東京に行く、大阪に行く、それと同じ感覚で、バンコクに行く、ニューヨークに行くと遠い存在だった世界が、手軽に行けるんだと思い、世界が身近になりました。

 

自分自身が成長したと言われると、海外だと考える時間が多くなって、自分を見つめることが多くなるので、なんで日本で生まれたんだろう?とか、自分って何なんだろう?とか、自分は何がしたいのだろう?とか、考える時間を持てたのがよかったんじゃないのかなと思います。

カルチャーショックを受けた国とかはございましたか?

インドのバラナシという街ではカルチャーショックを受けましたガンジス川がある聖地で、ヒンドゥー教では、死んで灰になったときにガンジス川に流されるのが一番嬉しいことで幸福な人生とされているので、言ってしまえば、その町にみんな死ぬ為にインド全土から集まってくるんです。

 

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だから、おじいちゃん、おばあちゃんは物乞いをしながらバラナシの街に来て、みんな路地でまた物乞いしてるんです。何の為に物乞いしてお金を得ようとしているのかというと、自分の薪代です。自分が死んだ後、自分を燃やすための薪代を物乞いしているのです。でも、物乞いしながらも、みんな幸せそうなんです。死んで灰になってガンジス川に流されることができるからって・・・

 

ガンジス川って死体も流れてるし、その横で魚釣りをしてるし、その横で歯磨きしてるし、洗濯してるし、泳いでいたりするし、ほんと何でも受け入れるんだなと感じました。バラナシは、生きるも死ぬも、そんなものを全部受け入れている街でした。日本では死とか隠していると感じます。でも、バラナシは死も受け入れてるし、物乞いの人もいるし、道端は牛の糞ばかりだし、ぐっちゃぐちゃの中の幸福って衝撃を受けたました。

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いろんな国をまわってみて現地の人は日本人をどう思っているのか?

基本的にはみんな日本人が好きですね。

 

やっぱりトヨタの車最高だ!ホンダのバイク最高だ!ソニーの商品はクールだ!って今まで日本が培ってきた日本のものづくりが浸透してるから、日本って良いもの作るって印象を持っているし、礼儀を守って大人しい人種だって一般的に浸透してるのかなって思います。

 

結構深く付き合って話すとスリランカとかカンボジアとかいろんなところで言われたんですが、ちょっと日本を詳しく研究している人は、「日本人が分からない」って言うんですよね。

 

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スリランカの人には、「スリランカも日本も島国で同じじゃないか!でも、なんで日本は発展していて、うちは発展していないのか?」「そもそも日本ってチャンバラだったよな?と・・・。でも、いきなり戦争で日清戦争に勝って、日露戦争に勝って、その上、数十年前チャンバラだった国が、アメリカに喧嘩売った。」「どういうことなんだ?」って聞かれました。

 

アメリカに喧嘩を売ったはいいけど、原爆2発落とされてコテンパンにやられた。

 

でも、そのあと数十年で今度は経済でアメリカに喧嘩を売った。そこでもまた、バブル崩壊でまたアメリカにコテンパンにやられたと・・・

 

次何やるの?お前ら?みたいな恐ろしさがあるらしいです。そして、「何なんだ?あのパワーは!」という期待感と同時に恐ろしさももたれているのが日本人ではないでしょうか。

 

各国を周ってみて、食文化で印象はいかかでしたか?

いまだにパクチーは食べれません(笑)

 

でも、インドでは1ヶ月ほとんどカレーでも飽きなくて美味しかったし、特に困ったことはなかったです。ただインドは好き嫌いが分かれるかもしれませんね。

 

また、世界周っていると、「日本食くいてー!」ってなるんだけど、日本食が食べられないところが結構多くて、そのときに助かったのが中華です。中国人はどこの国にもいて、その中国人が本場の中華料理を提供してくれたのが、本当に助かりました。

 

でも、チベットは飯がキツかったかな・・・

 

標高が非常に高く食べるものがないから、肉は牛肉とかではなくヤク肉だから堅いし、一番うまかったのがカップラーメンだったってくらいで、苦労しました。

 

では、民族柄で良かった国はどちらの国でしたか?

ヨルダンですね。もし、天国があったら半分はヨルダン人だよねってくらい、すごいいい奴らで、ヨルダンに入国したときにスタンプを押されたときに、Welcome to Jordanって言ってもらえて、それはいろんな国に行っていたわけだけど、初めてで、その時点でヨルダンの印象は良く思いました。

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さらに、宿に泊まったときには

宿の兄ちゃんとご飯をおごってもらいましたし、

ヒッチハイクでもすぐに(ほぼ1台目で)止まりますし、

とにかく国民みんなが旅人をもてなそうとする国でした。

 

イスラム教って巡礼する文化がある宗教だから、

旅人をものすごくもてなすし、

それでヨルダン人にはよくしてもらって印象に残っている。

まして、

イランとイラクに囲まれているのに戦争がないのも分かります。

これから海外に行く人へ!

まず、チケットを買おう!

 

行くか行かないかでは悩まない(笑)予算がなかろうが、仲間がいなかろうが、とにかくチケットを買ってしまうことです。そうすれば行くしかなくなるので!

 

行き先は、先進国であろうが、途上国であろうがどこでも良いし、一回でも行ったことがある人は、今度はそこで見えてくるものが全然違うから、リュックサックを背負ってバックパッカーとして行って欲しい。

 

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みなさん、さっそくチケットを買って、この夏、海外へ行きましょう!!!

 

 

 

旅するように働く 橋本博司

では、訪れた国のなかで一番印象の強かった国どこですか?

カンボジアが一番衝撃を受けましたねカンボジアに、アンコールワットという遺跡を見に行って、スゴく感動したのですが、そのとき10歳くらいの子どもたちに囲まれて、話を聞いたら、勉強を教えてくれと言うのです。

家が貧しくて学校に通えないとか、カンボジアは内戦が起こっていたので、学校は壊されちゃったとか、学校の先生は殺されちゃったとか、数々の理由で学校に通えない状況でした。その子たちに簡単な英語とか、算数とか教えていて、そのときに、「将来みんなやりたいことあるの?」って聞いたら、みんな目をキラキラさせて「医者になりたいんだ」とか、「学校の先生になりたいんだ」とか言ってきたのです。「なんで?」ってきいたら、「戦争でけがした人が大勢いるから治したいんだ!」とか、「学校の先生はみんな殺されちゃったから、僕が先生になって教えたいんだ!」とか、みんな目をキラキラさせて伝えてきたのです。ただ、その時に気付いたのは、この子たちは絶対将来の夢を実現できないということ。なぜなら、学校に通ってないから、読み書きができません、計算もできません、だから、大人になったらまともな職に就けない。このままだったら、ずっと貧しいままだなと思いました。

 

そこで、初めて可能性がない、努力すら出来ない人たち、可能性が0%の人たちが世の中にいるんだということを知りました。一方、僕自身はやりたいことがなく、旅行は好きだったけど、「夢はなんですか?」って言われたら答えることが出来ない大学生でした。そんな自分が余りにもふがいないというか、申し訳ないという思いになりました。

 

こんなに恵まれるのに、適当にアルバイトして、お金貯めて、海外に行っているのと、目の前にいる子供たちは、絶対に日本なんて来られないし、海外なんて行けないし、夢があるのに何も出来ない。

 

たまたま生まれた場所の違いで、こんなに違うのってなんだかな・・・って、この時本当に衝撃を受けて、帰りの飛行機の中で手帳に【40歳までに学校を作る】と書いたのがスタートです。

 

カンボジアで、子供たちと接したのが自分の人生にとって重要な出来事だったと思います。

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では、学校を建てる為にどのようなことを行っているのですか?

日本で、寄付金を集めて、現地のパートナーがいるので、その人と協力して学校を作っています。

 

学校を作っても、よく運用をされないで、そのまま使われないままになってしまうということが多くて、うちの団体としてはそれを避けたいなと思っているので、カンボジアの教育局と一緒にタッグを組んで建設と運営を行っています。

 

建設までの流れとして、まずは、教育委員長と話をして、不足しているエリアをヒアリングします。そこから実際の村に現地調査に行き、村長さんと校長先生に来てもらって、生徒数や世帯数、など詳細のヒアリングとを行います。そうして10カ所ほどを周り、優先順位を立てて建設候補地を決定します。

 

建設候補地が決まったら、日本での資金集めです。だいたい300人が通える学校1校作るのに300万円くらいかかります。資金が集まりましたら、地元の大工さんや、資材屋さんと調整しながら建設を進めていきます。

 

完成後は教育局と連携を取っているので、公立の学校として、運営されます。先生は正式な公務員の先生が派遣されて来ます。ざっくりとですが以上のような流れで建設を行っています。

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日本で資金を集める手段とはどのような手段ですか?

今は企業の社長さんからの1口100万円などの大口の寄付が主です。ただ「なぜカンボジアに?」という理由がないので、カンボジアの魅力を伝えて、まずは一緒にカンボジアに行きましょう!と言う話をしています。まずは現状を生で感じて知ってもらうのがいちばんですので。

学校を作る活動でネックになることなどはありましたか?

ハードルはいつも資金集めです...これはNPO法人の宿命ですね...学校の建設に教育局とどうやっていけばいいの?みたいに分からないと思うんだけど、たまたま現地のパートナーのサムというのがいて、サムが学校建設のやり方というのを我々が作る前から1校作っているから分かっているので、現地で苦労したというよりは、日本でのお金集めがネックになっています。

 

結局、実績ないと誰も話を聞いてくれないので、最初は半額を自分で出し、当時務めていた企業の社長を口説いて、残りの金額を出してもらって最初は建てました。

 

1校作った実績があれば、後は話しやすいので、2校目からは寄付金で建設することができています。

 

学校が建てられた後、子供たちとどのように関わっていますか?

まだ、教育の中身までは手を付けていないですが、現地は歯磨きの習慣がないので、校長先生に頼まれて、歯磨き教室を行ったり、年に2回運動会を開催したりとそういった課外活動をやって関わっています。

 

それには、スタディーツアーとして年間100人以上の日本の大学生と現地に行ってます。カンボジアの子どもたちとの関わりを通じて、日本人の大学生が成長していく姿を目の当たりにすると、一番やりがいを感じる瞬間は学校ができたときよりも、こちらなのではないかと感じたりもしています。

 

学校の建設と運営を行いながら年ほど経った時に新しい問題に直面しました。うちの学校は公立の学校なので授業料は無料で通えます。ただ、と言っても通えない子供たちがだいたい割合で10〜15%くらい出てきました。昨年一年かけて、なぜ通えないのかを調べていたところ、突き詰めると貧困が原因でした。だいたい月収30ドル以下、1日1ドル以下で生活をしている世界で最も貧しい人に含まれる家庭の子どもたちが通えていなかったのです。

 

よく聞く話として、貧しくて子どもが働かされるから学校に行けない、と言う話を聞くことが多いと思いますが、現実はそうではありません。働き口なんてないのです。ただでさえ、大人ですら働き口がないのに、何で子供で働き口があるの?って・・・

 

では、どうしているかと言うと、食べられるもの探してるんだよね、魚を捕ったりとか、食べれる草を探したりとか。今日生きられるかどうかの世界の家庭にとって、結局学校作って1%の可能性を与えたいと思ってやっても意味がないのではないかと・・・

 

だったら貧困の問題があるなら、貧困問題を解決しようと、そうやって新しい事業をやろうと思いにいたり、昨年より準備を進めています。

 

どのような事業かと、簡単に言いますと、貧困家庭に豚を育ててもらうことをしてもらいます。お金を貸すマイクロクレジットという手法が世界的に流行っているのですが、お金をそのまま貸すと使われてしまうのでお金を貸すのではなく、ビジネスのパッケージを貸そうと思っています。

 

つまり、その家庭に10万円を貸すのではなく、10万円分の豚小屋と井戸と子豚とえさ代に変えて、その家庭に貸します。そして、2年間をかけて一緒にその家庭と豚を育てて販売するということをします。その売れた収益の半分は返済に充ててもらいます。2年間で返済が終わるシュミレーションです。我々は利子を取るつもりはないので、それだと収益にならない。だから、必ず我々からえさを買ってくださいというビジネスモデルにしてて、そうやって運営費を賄おうとしています。

 

このプロジェクトは、「子供を学校に行かせること」が導入の条件なので、子供は教育を受けれ、親は豚を育てる職業訓練になる。なおかつ、その家庭はうちが半分利益をとっても月30ドルの収入から月60ドルの収入に上がるので、貧困も脱出できる、そういった効果を狙ったものになっています。

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旅するように働く 橋本博司

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NPO法人HERO 代表理事 橋本博司

◇プロフィール◇

大学時代にカンボジアに行き、そこで子どもたちに勉強を教えてほしいとせがまれた経験からカンボジアに学校を作ることを決意する。

23歳で飲食店を経営。その後、1年間の世界一周新婚旅行に旅立つ。新卒採用の仕事を経て、2011年2月NPO法人HEROを立ち上げカンボジアに子どもたちが無料で通える学校を4ヶ所建設。2013年夏には5ヶ所目の学校を建設予定。現在は学校建設の他に貧困支援事業としてマイクロファイナンスならぬ、マイクロ養豚事業を準備中。また、就職するとカンボジアの子どもに教育の機会が提供される就職サイト『世界を変える就職ナビ』を公開。横浜ビジネスグランプリ「ソーシャルビジネス部門」で優秀賞獲得。

NPOとしてカンボジアで学校建設を始めるまでは、どのような経緯があったのですか?

まず最初、大学を卒業して一度会社に就職しましたが、そこの会社を5ヶ月で辞めてからがスタートです。その1年後に八王子に飲食店を立ち上げて、なんとか2年でお店を立ち上げるのにかかった借金を返したので、一度お店を友達に譲り、1年間嫁さんと新婚旅行で世界一周に旅立ちました。帰国後は、師匠と慕う先輩から誘われて、介護の会社で人事の仕事をすることになりました。なぜ人事なのか言うと、その先輩に「途上国の就業支援や教育支援をやりたい」と言ったら、「その前に修行しろ」と言われ、その先輩の会社の教育担当と採用担当がいないから、お前ちょっとやれと言われたことがきっかけです。人事の仕事は4年半やっていましたが、その間に友達から「お店をやっぱり返すわ」とお店が戻ってきて、会社に働きながらもう一店舗増やしたり、また、同時進行で、NPO法人HEROを立ち上げて、カンボジアに学校を作ったりしていました。会社員との両立がなかなか難しくなって来たので、完全にその会社を辞めたのは2011年の9月で、そこから、株式会社ペイフォワードとNPO法人HEROの運営を行っています。

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では、今までに、どのような国に行かれましたか? 

僕は、トータルで30カ国以上周っていて、始めて行ったのは、大学2年生の時、友達と2人で、ギリシャとトルコを周りました。それを皮切りに、バックパッカーとして一人で、タイ、カンボジア、マレーシア、ラオス、ベトナム、シンガポール、ニューヨーク、モロッコに行きました。

 バックパッカーで20歳の時に訪れたカンボジアで衝撃を受けて、そこから、途上国の活動をやろうと思いました。そして、カンボジアで衝撃を受けた半年後には、カンボジアでボランティアに参加したりしました。

 旅が好きなので嫁さんと一緒に世界一周旅行に行った際には、370日をかけて26カ国周りました。全然サイトは更新していないのですが、、旅のおさそいというサイトがあるので、訪れた国の情報などが書いてあるのでぜひ参考にしてください。

数多くの国に行かれた橋本さんですが、最初に海外にいくことになったきっかけはなんでしたか?

最初はギリシャとトルコに行ったのですが、友達と「カラッとした、暖かい場所にいこうぜ!」みたいな感じで、深い意味もなく軽い気持ちでした。地中海って響きがステキだったので(笑)。

では、なぜ、その後、数多くの国に行ってみようと思ったのですか?

初めての海外で、リュックサック背負って何も決めずに行ったというのがスゴく楽しくて、また、現地での出会いとか、いろいろなものに触れたりするのがさらに楽しくて、この感覚にハマってしまいました。

 

何も予定決めずに、新しい街に着いた時の緊張感、ワクワク感がたまらなかったです。何も知らない町に一人でバスで降り立って、「さてこれからどうしよう?」といった、アドレナリンが出てくるような、ゾクゾクするものが、あって、二人でこんなに感じるのだったら、一人だと、どうなっちゃうんだろう?ってそこからバックパッカーとして旅するようになりました。

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就職ではなく留学の選択も! 明利憲幸

 

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 今回インタビューさせて頂いたのは、明利憲幸さんです。明利さんは、大学卒業後、スチューデントビザを取得してオーストラリアに留学をなされていました。日本の人は基本的には大学卒業後、就職だが、明利さんは、就職でなく、留学という選択をしました。なぜ、その選択をしたのか?そこから学んだことは何なのか?についてフューチャーしていきたいと思います。

それでは、明利さんよろしくお願いします。

 なんで明利さんは、就職でなく、留学という選択をしましたか?

周りと同じ時期に就職活動を初めて半年以上は続けてたけど、ピンとくる場所がなかった。理由は自分が何をしたいのかわからなかったからだと思う。
とりあえず就職して、そこで何かしら経験して自分を発見する道も全然ありだとおもうけど、個人的には楽しくなさそうだったから、それはやめた。

で、当時一番したかったことが海外で生活すること。留学前に1ヶ月だけアメリカで一人旅をしたことがあって、その時に海外のおもしろさを肌で感じ、それが日本より楽しく思えたことが理由かな。

では、どういうところに海外の魅力を感じたのですか?

海外のおもしろさっていうのは、
ラフで言いたいことをはっきりと言える人間関係(日本では気まづくなりそうな言葉でも、向こうではそれを笑顔ですんなりという人の割合が多い)、景色(広々とした土地など)、英語を話すことなどかな。

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国際問題の現実というのは、ある特定の国際問題を問題と言っているのはある特定の人のみということ。
国々の特色っていうのは、例えば、日本や韓国人は比較的組織を重視する意識が強いけど(就職を考える率が多い)、インドやヨーロッパ、オーストラリア人は個人を重視する意識(自分が何をしたいのかがはっきりしている)が強かった。

また、オーストラリアは多人種で、日本にいると大半は日本人だけど、オーストラリアの自分が行った街だと半分がオーストラリア人で半分が外国人だった。アジア人、アメリカン、ヨーロピアンだったりした。

だから、あんまり自分が外国人て意識がなかった。例えば、別の国へ行っていたら自分が外国人だと思って控えめにすると思うけど、半分が外国人だから特別自分が外国人だって意識はなかったかな。

現地の人は日本人のことをどのように思っていると思いますか?

たぶん、物静かだとおもっていて、発展途上国からしたら先進国だと捉えられている。

実年齢をいったら驚かれるほど若いと思われている。「そんな年取ってたのって!もっと若く見えるって」

でも、日本よりは差別はあった。例えば、オーストラリア人のがたいの良さそうな人なら店員とお客の間柄でもお客を馬鹿にしたりとか例えば商品を渡すときにおっ放り投げたりとかする。実際、自分はほっぽり投げられなかったが、目線を合わせなかったり、スマイルを見せなかったり、適当に渡すような形は結構あるかな。

アポリジニとかいるけど実際街中には居なくて、アポリジニの文化を廃れないために、楽器演奏とかストリートで演奏をしている。結構、オーストラリアっていう国は外国の人が住むのを構いませんよって国だからそういうスタンスでやってて、例えば韓国の学生がオーストラリアに行きたいときは政府間でのやり取りがあって結構楽に行けて、どんな人種でもウェルカムっていう感じになっている。

オーストラリア人の食事ってカンガルーの肉とかあるけど、普段から食べているかって言われたらそうではないし、例えば、日本のすしのようにそんな頻繁に食べるものじゃないから、実際食文化に際立ったものはないかな。街に出れば、イタリアンも韓国料理もすしもあるから、日本に近い。

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現地で学んだことは何ですか?

学んだことは国際問題の現実、国々の特色、英会話。

まず、英語が話せるようになったっていうのが確かで、また、海外に行く前は少し勇気がいるような気がしていたけど、行っちゃえばたいしたことなかった。例えば、学校のプログラムとかで行くなら、友達と一緒に行ったりとプログラムに守られて行くことが出来るかもしれないけれども、自分で行くとなったら、どの場所が安全地帯で、どの場所が危険地帯で、とかどの街が勉強に適した街なのかとか調べて行かなくちゃ行けなくて、準備する期間がひとりで長い分少し不安にもなると思うけど、実際に行ってみると、日本とあまりかわらない環境がそこにあった。

カルチャーショックはありましたか?

家の中にゴキブリが出てもあんまりビックリしない、一歩街を出たら自然豊かってのがオーストラリアだから、虫も大きければ、動物も大きくて、ゴキブリも大きかったんだけど、ゴキブリが出たら平気で殺して、庭に投げて、その庭を平気で走るみたいな感じだった。

 

コミュニケーション仕方の違いとかはありましたか?

オーストラリア人は言いたいことをはっきり言う、例えば、学校の先生だったら、長引きそうなら、次の日にしてくれ、今はビジネスの時間外だとはっきり言う、それをうやむやにするんではなくて、笑顔で、はっきり伝えていた。自分が思っていることを伝えているなと思ったし、そこが差別にもつながっているんだなって思った。自分はあなたたちの人種が嫌いだからそういう対応をするよみたいな。逆に優しい人はとことん優しくしてくれる。

行く前と行った後、価値観の変化はありましたか?

例えば、実際の人たちは国と国の間にある問題を問題意識していない。例えば、韓国と日本だったら、韓国の一部の人は領土の問題を問題視してるけれども、実際聞いてみたら、そんなことどうでもいいって言う人ばかりだった。海外で会う韓国人は。日本が昔侵略したって過去があるけれども、実際そこを気にしている人があまりいなかった。メディアで取り上げられているのは一部の人のみだって感じた。

メディアは一部を公開してくれてそれは大事だと思うけど、それは一部にすぎないと思う。

最後に、海外に行く人に一言お願いします!

何を目的として海外に行くかにも変わると思うけど、今後ビジネスとして英語をつけ得るために行くのであればちゃんと現地の人とコミュニケーションを取った方がいい。例えば、学校に行くとなると、アジア人とアメリカ人とヨローピアンとに授業は一緒に受けるけど、授業後はその人種ごとのグループに分かれてしまって群れるから、あまり言語も発達しないし、コミュニケーション能力も高まらないから、積極的に現地の人とコミュニケーションを取ろう。人種ごとに違うけど、面白いことには存分に笑うし、面白くないことには笑わない、そうはっきりしている方が好かれると思う。相手の顔色をうかがわないことが大切で、相手はそこを見抜いているから。

帰国生から見た日本 小林彩乃

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今回インタビューさせて頂いたのは、早稲田大学法学部在籍の小林彩乃さんです。小林さんは、お父さんの仕事上幼少期のほとんど(小1〜中3まで)をシンガポールで過ごしていました。したがって、幼少期に学んだ現地の文化と日本の文化の異なりで困ったこともあったそうです。

それでは、帰国子女の視点から、日本とシンガポールの違いなどを聞いていきたいと思います。それでは、小林さんよろしくお願いします。

帰国してみて感じた、日本と海外のギャップ

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大まかにシンガポールと日本の違いは、どのようなところですか?

まず、行ってすぐに分かるのはあったかいことですね。もう発展途上国ではないがちょっと前まではジャングルだらけだったから、人々もラフな感じで生きてます。結構時間に遅れるのも当たり前だし・・・

そこを含めて緩い感じて、自分に対しても緩いから、人に対しても緩くて、結構なんでも許されちゃう感じがしますね。例えば、日本だったらあれしちゃいけない、これしちゃいけないと規則があって、洋服もあんまり露出しちゃいけないとか、こういうとこにいくのにこういう服はいけないというドレスコードとかもあって、そういうのが基本的にはシンガポールではないです。

シンガポールの中でも上層部の方は、世界共通であるそういうものはあると思うんですけど、一般庶民は全然そういうのがなくて、逆にそういう規則とかがなくて、居心地がいいと感じることもあります。

では、シンガポールの現地の人たちはどのような方々なのですか?

初対面の人でも、気を使うってことは無いですね。

それと、日本では「あの人ってどうなの?」みたいに見られることがあったりするけど、シンガポールではありません。

例えば、日本でパジャマで外を歩いていると「え?」ってなるが、シンガポールだと変な目で見られることが無いです。

中国の人がシンガポールには多くて、中国の人って凄く家族の繫がりを大事にするみたいなんですよ。日本だったら親しくてもいとこまででだったり、親族が集まるのもお正月に会うくらいだと思うんですけど、中国の人ってしょっちゅう親族大人数で円卓を囲んで食事をするんです。

だから、おじいちゃん、おばあちゃんを凄く敬うので、何も言わなくても、若者とかは席を譲ったりするんですよ。

そして、シンガポールでは、純粋なシンガポール人の人はそんなに多くなくて、中華系のシンガポール人やマレー系のシンガポール人、インド系のシンガポール人、あと、日本とかヨーロッパとかの先進国から仕事をしにきている人がちょっといるって感じで、いろんな人が混ざっていてみた目だけだと何人って判断できないですね。

幼少期をシンガポールで過ごして、帰国したときのギャップはありましたか?

シンガポールは、ずっと夏の国で、暑いからみんな下着を着てTシャツを着て、短パン、ビーサン履いて、外に行くって感じで、その服装がよそ行きって行ってもいいくらいポピュラーな服装でした。

だけど、高校進学と同時に日本に帰って来て、高校に通っていて、夏になって問題が起きました。

女子高生はみんな下着の形が分からないように、Yシャツの下にキャミソールを着るんですよ。でも、私はそこが分からなくて、「なんで下着が透けちゃいけないのかな?」って・・・

それと、夏にベスト着るのも分からなくて、ベストってニットじゃないですか、なんで、夏は暑いのにわざわざニット着るんだろう?と思って理解できななくて、ベストを着ずに学校行ったら、みんなに「上着た方がいいよ」って言われて、すごい恥ずかしい思いをしました。

今でも若干、下着を透けるのがいけないのが理解できないなと思います。別にそんなに気にすることじゃないのかな?って、だってビキニって着るじゃないですか!ビキニと同じ形なのになんでダメなのかなって・・・

あと、私が気を配るのが遅かったてのもあると思うんですけど、高校に入るまで脱毛したことが無かったんですよ。

私は脱毛しないのが当たり前だと思っていたので、夏になって体育祭とかで半袖のTシャツ着るときに、私が脱毛していないことに驚かれて脱毛をしなくちゃいけないんだって思いました。

もはや日本では脱毛するのが当たり前だけど、シンガポールでは当たり前じゃなくて、脱毛する人って本当に美容が大好きで気を使ってる人みたいで、脱毛する=エステにいくみたいな感じだったので、自分はそんなに美容とか気にしている人じゃないからいいやって思っていたけど、そこは日本に帰ってきて、ちょっと恥ずかしい思いしました。

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また、シンガポールは、お手洗いと洗面台とその真横にバスタブがあるというホテルみたいな構造で、バスタブは元々お湯につかることを想定されて作られてないから、結構浅めで縦長なんで、その上にシャワーが着いているようなものなんですよ。

なので、私は、シンガポールで、トータル10回もお湯につかっていないと思います。でも、日本に帰ってきて親がお湯につかるから、自分も浸かっていたんですけど、お風呂の入り方を知らなくて、銭湯とかでは、いまでは基本の基本って分かるんですけど、お湯につかる前に身体を洗うじゃないですか、それを私は知らなくて、お風呂のドアをバーッと開けてそのまま浸かったんですよ、それって正直汚いじゃないですか、でも、それが全然分からなくて、親にそれで怒られて、「じゃあ、何のためのお湯なの?冷めちゃうじゃん!」とか言い返してたらお母さんが、「彩にお風呂の入り方を教えてなかったね」って言われてそこでもカルチャーショックを受けましたね。

それを知ったのは、高1の時点だったんですけど、高1で知らないのって結構ヤバいじゃないっすか!それで、高校のとき友達にも言えなかったけど、今なら言えるかなって。高校の合宿の直前にもお母さんに「おっきいお風呂があると思うけど、みんなが端っこに並んで洗うと思うから、一緒に洗うんだよ!」って高校生なのに言われましたw

昔は、こういう一個一個がショックだったのに、最近では、日本の生活に慣れてしまって、日本の生活に淘汰されているのが寂しかったりするんですよね。

 それと、自分で思ったって言うよりは、人に言われて気づいたって感じなんですけど、結構日本で育った人って日本好きじゃないですか!私も日本嫌いじゃないですけど、日本の人で四季が嫌いな人って居ないじゃないですか、でも、中には居るかもしれないですけど、日本人は「美しい四季」みたいな感じで四季を楽しんでるじゃないですか。でも、私は四季があまり好きじゃなくて、春は風邪を引きやすいし、私は花粉症なので大の天敵なんですよ。また、夏は木とかが無いから、直で日差しを浴びるような暑過ぎる夏じゃないですか、シンガポールってずっと夏なんですけど、木とかがあって直に日を浴びることが無いんですよ。また赤道直下だから、太陽の位置が日本と違って陰がなくなったりするんですよ。だから、日の当たり方も違ってあんまり暑く感じないんですよ。でも、日本の夏って外歩くの無理って感じで、常に汗をかくみたいな感じで、それもそれで居心地悪いなって思っちゃうんです。そして、冬は普通に寒いし・・・

気温変わると風邪も引きやすくなるし、紅葉とかもものすごく綺麗とかになるとお金出して見に行かなくちゃいけないしと、そういうところで日本に対しての思い入れが少なくなっちゃたんだなって思います。

では、帰国してみて日本について現在どう思いますか?

日本って規則が多い国じゃないですか、学校にしても、公共のルールでも、自分がこれしなきゃいけないあれしなきゃいけないっていうのがイヤなだなと思います。

それと、なんで日本の人って、口うるさく言うんだろうって思います。シンガポールでは怒らないことが美徳とされる国だから本当に怒らないんです。

バイトを始めて気づいたんですけど、日本のお客さんとかがものすごく敬われてるみたいなのあるじゃないですか、だから私は、そんなにお金を払ってご飯を食べていることが偉いことなのかな?って思いますね。クレームとかつけられて、こっちが全く悪くなくて、お客様の勘違いだったとしても、店側が謝ってる。なんでこんなにお客様って偉いんだろうって思いますね。

シンガポールのお店だとお店入っても、お店のおばちゃんが新聞読んだまま気付かないみたいな、気付いてもまた新聞に目をやるみたいな感じなんですよ。確かに、店員さんの仕事ってそれで十分じゃないかなって、新聞読んでるおばちゃんが多いのは洋服屋さんなんですけど、洋服屋さんの店員さんってよく話しかけてくるじゃないですか、人によってイヤな人も居るし、店員さんに助けて欲しいときは呼ぶし、ほっといてって思うんですよ。カフェとかは日本とかわらないですけど、一個一個飲み物を渡すときも、ドンって置かれることもあるんですけど、日本だと「何?あの店員?」みたいに言う人居るじゃないですか、でも、飲み物は普通に飲めるわけだし、別にいいじゃんって思います。結構、店員さんなんだからこれくらいやってくれて当たり前みたいのが日本人にはあって、シンガポールの人とは考え方が違うなって思いました。自分がバイトをしてみて、店員ってここまでやんなくちゃいけないの?みたいなことを思いましたね、自分が悪くなくても謝るみたいな。働いているときは、そういう文化が憎く感じるときがあります。

シンガポール人は日本人のことをどう思っていますか?

シンガポールに日本人って2通りの人がいて、住んでる日本人と観光でくる日本人。多分現地の人も、目の前の日本人がどっちに属しているのか見分けられて、住んでいるの日本人は英語がしゃべれないけど、日本人同士のネットワークが凄いからシンガポールについては詳しいんだよなとは思われているとは思います。特に好かれている嫌われているはないですね。「あっ、日本人だ!」みたいのはないですね。

凄い居心地がいい国なので、全然英語がしゃべれない日本人でも楽しめるので、ぜひ楽しんで欲しいです。最近出来た3つのビルの上に船があるところがあるんですけど、そこの観光スポットに行くのももちろんいいと思います。が、それより、もっとローカルの道に行くのがいいじゃないのかなって思います。観光スポットって観光客向けの味のものとかあって、観光客が居心地がいいようにされているから、そういうのじゃなくて、道とかボコボコしてるけど、シンガポールのローカルの人が食べるようなものを食べ歩きした方が、旅行したほうが楽しいのじゃ無いかなって思います。

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 シンガポールは、ごはんはとても安いです。

日本に帰ってきてスタバいってショートサイズを頼んだときに「馬鹿にされているのか?」って思うほど小さかった!日本のトールサイズが、向こうのショートサイズで量が多いから安い。

食べ物に限らず、物価が安くて、その影響で、帰ってきたときに金銭感覚が狂いました。1999円ってほぼ2000円じゃないですか、でも安い!って思ったんですよ。でも、そもそも、その商品に対して1999円の価値があるのか分からないし、1000の位とか高い気がするし、逆に、1000円札1枚と考えるとそんな高くない気もするしとよくわからない感覚になっていて、気付いたらお金がないみたいのがよくありました。そこで、私は、3000円と考えると安いと思うけど、シンガポールドルに換算するとめっちゃ高くない?って言う感じで、シンガポールドルに換算して買い物をしていました。「このスカート3000円だよ!めっちゃ安くない!」みたいに思っても換算すると「46ドルのスカートめっちゃ高いんだけど!」みたいな感じになりました。いまはさすがに日本円感覚が身に付いたけど、しばらくはわからなくて、これが高いのか安いのか分からないってのがありましたね。